01はこちら「怒った民衆の槍や小槌に串刺しにされ、引き裂かれた評議員たちは、恐ろしい劇の登場人物となった。」1419年7月30日、プラハの新市庁舎で行われたプラハの評議員の虐殺を、後の教皇ピウス2世であるアエネアス・ピッコローミニがこう表現している。---------------
建物
来襲、ペスト
「...犠牲者はほとんど即死だった。脇の下や股間が膨らみ、話しているうちに死んだように地面に倒れてしまった。父は子を捨て、妻は夫を捨て、兄は弟を捨てました。そうして彼らは死んでいった..」Agnolo di Tura ”シエナ年代記” 1348年(出典:https://cs.wikipedia.org/w
チェコの錬金術02
さて、王様が戴冠式のときにパレードをした道、「王の道」はやはりパレードをするだけあって、両脇の家の装飾が華美になっていきます。歩いてると分かるのですが、それぞれの門の上に絵とか、漆喰で飾られた美しい装飾があるんですね。これはハウスサイン、私は「家印」と呼
プラハ王の道
チェコの首都プラハには、王の道というものがあります。これは何かというと、昔王様が戴冠式をするときにパレードをした道の事で、この道は現在ユネスコの世界遺産に登録されている歴史的中心部を通り、ロマネスク様式、ゴシック様式、ルネッサンス様式、バロック様式、ロコ