716px-Blood_letting

中世初期、ヨーロッパでは医学のレベルが急落しました。衛生学が事実上消滅しただけでなく、かつての知識の多くが絶え間ない戦火の中で忘れ去られてしまいました。

さらにキリスト教が医学の世界でも大きな影響を与えて行きます。

ペストの記事の所でも書きましたが、病気は体に入り込んだ罪や悪が原因であると考えられました。
治療によりそれを排除しようとするわけですが、外科的な施術が必要な場合は、ランホイチュ(
Ranhojič)と呼ばれる准看護師のような人物が行っていました。この仕事は風呂屋の仕事が分化していったものです。

ちなみに処刑人も外科医のようなことをやっていたそうです、ある意味切断のプロですしね。

大学出の医師は外科的な施術をあまり好まず、診断や薬の処方をするのが主な仕事だったようです。


今日は中世の医学がどのようなものだったかを書こうと思います。


まず医者という職業は、そこまで羨ましい職業ではありませんでした。

彼らの仕事は、伝染率の高い病気と接触する危険がありますし、診察自体が大きな負担でもありました。

優れた医者は目視だけに頼らず、五感をフルに働かせて傷や患部の診察をします。例えば匂いをかいだり、時には味も見なければなりませんでした。これには尿、便、汗も含まれます。


ペストが流行った14世紀には、医者が広がる伝染病になすすべもなく手をこまねいていました。
その間に人々はさまざまな民間療法を取り入れるようになっていきます。

ペスト予防で頻繁に行われていたのは、ペストに効くと思われたものを入れた袋を首から下げる事でした。(今でも似たようなものがありますね…)

そこには薬草のほか、焼いた鹿の角や猛毒の砒素を練り込んだケーキなどが入っていました。

当時はペストはゆっくりと忍び寄る霧のようなもので、あらゆる開口部から体内に侵入すると考えられました。そして一番それが侵入してくるのが口と鼻だと考えられたわけです。
そこで酢で口をすすぎ、酢に浸したスポンジを顔の前に置くようにしました。また、医師は空腹中は風に逆らって歩かないようにと警告しています。


それでも感染してしまった場合は、第二段階として、より直接的な方法が取られました。例えば、病人は自分の尿を飲み、ペストにより生じた腫れや黒い斑点をヒルに咬ませて吸い取るように勧められました。さらに効果的と考えられたのは、家畜の肺や雄鶏を患部に当てることです。


膀胱炎や前立腺肥大症の治療の場合は、シラミを使いました。

現代では、シラミは子どもの頭につく不快な虫というイメージです。私の子供もしょっちゅう幼稚園や学校でシラミをもらって来ましたが、皮肉なことにコロナ禍により、それが無くなりました。高いんですよね、シラミシャンプー…。


シラミは中世では治療道具の一つで、医者は尿道にシラミを挿入して膀胱を刺激し、収縮させました。
シラミを残念ながら持っていない場合は、1cmほどの大きさの甲殻虫で代用することができ、産まれたばかりの虫たちは孵化直後にすぐ近くの穴や隙間に入り込んでしまうそうです、もう想像だけで辛い。


治療がうまくいかなかった場合は、柔らかめのチューブを挿入する必要がありました。尿路結石の場合は手術をしなければいけませんでしたが、もっと先進的な方法は尿道に管を挿入し、そこに息を吹き込み、さらに吸引することで石を体内から排出する方法でした。


そして、あらゆる病気に効くと考えられた究極の治療法、それが「瀉血」でした。


前述のとおり、中世では病気はその人に入り込んだ罰や悪と解釈されたため、循環している悪い血液を、新しいきれいな血液と交換する必要があると考えられたわけです。そこで、小さな外科手術で血管を開き、血液を濃くなるまで流れるままにしました。傷口から流れる血が真っ赤で薄いものになってやっと、止血が行われます。
数分で終わる人もいれば、血の色や濃度が変わるまでかなり長い時間待つ人もいました。


大学出の医師はあまり瀉血をしなかったようです。人口の割に医者が少なかったため、簡単な治療は風呂屋に任されました。

ある時期まで、風呂屋では窓際に採血したばかりの血液を陳列していたそうです。ヒルを入れた瓶とかもあったようですし、もうホラーの世界ですね。


そして女性にとって重大なイベント、出産ですが、中世初期には医者は介入しなかったようです。

キリスト教の思想が強い時代だったので、妊娠や出産の痛みはイブが犯した罪による避けられない罰と見なされました。そのため、妊娠・出産については、母親や経験豊富な女性が娘や若い女性に密かに教育することが一般的でした。出産も母親など女性親族の助けによって行われることが多かったようです。


医師の代わりには「へその緒婆(Báby pupkořezné)」という助産婦が活躍しました。ボヘミアの地で一番最初の助産婦の記録は1178年にあり、14世紀頃から、ボヘミア王国の町や都市で助産が行われていたことが記されています。


初期の助産婦は正式な訓練を受けていませんでした。彼女たちは十分な経験を同業者のもとで積み、ハーブ療法を習得した後、35歳ぐらいで仕事を始めたそうです。そのやり方はキリスト教会から非難された自然医学や魔術的な考え方も取り入れていました。母体がまだ未熟な場合はこっそりと堕胎もしたようです。そのためしばしば魔女狩りの対象になりました。
1486年にドイツで出版された「魔女の鉄槌」という本には、
「助産師ほどカトリックの信仰を害するものはない」とまで書かれています。


女性はベッドに座って出産するか、もしくは分娩用の椅子で出産していました。
胎児が産道で死亡した場合、助産婦は洗浄したり蒸気を当てたりする事で死体の除去を試みました。
一方、母体が死亡し、胎児を救える見込みがある場合は、原始的な帝王切開に頼ったそうです。
しかし男性が助産にかかわる場合は、基本的に母体よりも子供を優先したっぽいです。
なんせ産めよ増やせよですから。


いや~、こういうのを見ると中世に産まれなくて良かったと思いますね。

参考:
https://www.stoplusjednicka.cz/doktori-proti-smrti-stredoveka-medicina-pripominala-spise-muceni
https://www.stoplusjednicka.cz/porod-napric-staletimi-dulezitou-roli-hraly-porodni-baby-prirucky-i-povery
https://www.stoplusjednicka.cz/umeni-bab-pupkoreznych-od-magickych-praktik-k-profesionalizaci-remesla
https://brnensky.denik.cz/serialy/ranhojic-a-lazebnik-drive-jedno-remeslo20100325.html
https://www.chytrazena.cz/ranhojic-aneb-od-lazebnika-k-chirurgii-8081.html
https://eurozpravy.cz/magazin/zatracovane-i-potrebne-baby-pupkorezne.bb963882/



↓押してもらえますと中の人が喜びます


にほんブログ村 海外生活ブログ チェコ情報へ
にほんブログ村


芸術・人文ランキング