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中世は、衛生習慣がなく、体も洗わず、窓から直接汚水を流していた暗黒時代と言われることが多いですが、この言葉を信じていいのでしょうか?ボヘミア王国を中心に中世ヨーロッパの衛生観念を見ていこうと思います。


まず第一に、中世は6世紀に始まり、15世紀の終わり頃に終了します。 全体でほぼ千年の時が経っており、その間には様々な変化が起こっているはずです。


文字は当時、知識のある人のものでした。
そういった背景からキリスト教の修道院で使用され、教会の教えに関連した情報が主に記録されています。

彼らは精神の清らかさが肉体の清らかさに勝るということを主張しました。汚れた身体は、敬虔さと謙遜の表れで、修道士や聖なる処女はほとんど体を洗わなかったようです。

例えば、ベネディクト会では、修道士は年に1〜2回しか風呂に入れませんでしたし、ドミニコ会やフランシスコ会は、信心深さの証として不潔さを挙げました。


「神は貧しい者、飢えた者、汚れた者だけを救われる」と指導者が宣言し、

「清浄は富の象徴であり、それは罪である」とまで言っています。


つまり宗教的には不潔な方が男女間の色恋沙汰を退けられるし一石二鳥って事でしょうね。

敬虔なキリスト教徒ほど体を洗わなかったとすると、中世期の聖人と呼ばれる人たちの見方が変わります、う~む。


教会の記録以外では、バグダッドのカリフの使者イブラヒム・イブン・ヤクブの著作の中にスラブ式サウナについての記述があります。

彼は965年と966年にボヘミア王国を旅して、現地の住民が吹き出物などをストーブを使ったサウナ小屋で治療していることに気づきました。

さらに、ブジェブノフ修道士のクリスティアーンは、チェコの聖人である聖ヴァーツラフを殺害した首謀者が蒸し風呂で捕らえられたと述べています。


つまり、10世紀ごろのボヘミア王国(チェコ)の人達はサウナ的なものに入っていたようです。このサウナ、またはスパはすっと継続して営業されていたようで、詳しくはまた別の記事で書こうと思いますが意外とボヘミアの庶民は清潔にしていたようです。


キリスト教を受け入れた皇帝や王の宮廷の状況は、もうちょっと不潔でだったようで、神聖ローマ皇帝オットー2世(955〜983)の宮廷を訪れたイブラヒム・イブン・ヤクブは、食事や用を足す前や後に誰も手を洗わないことに腹を立て、「これ以上汚いものはない 」と言っています。

廷臣たちは服も洗わず、それが完全に破れるまで着ていたとの事。


その200年前には、フランク王国のカール大帝がアーヘンにある大きな浴槽で、息子たちや友人、使用人たちと水浴びを楽しんでいたそうですから、えらい違いです。


11世紀後半、ヨーロッパがビザンツ帝国や東方と交易するようになると、体を洗う方向ではなく、香水や化粧品、かつらでごまかす事をはじめました。

教会は香水について深刻な懸念を抱いていましたが、それでもその使用は止まりませんでした。
十字軍の騎士たちは恋人に香水を送ったそうです。


12世紀、南イタリアのサレルノ医科大学の規則では、一日の始まりに歯を磨くことが推奨されており、小さな布やセージなどの香りのある葉や樹脂の棒で、歯を磨いたのだそうです。
意外とキレイにしています。


しかし、城、特に城塞は狭い空間に多くの人が集中していたため、最も衛生的に不利な条件でした。排泄物は城の堀やふもとにたまり、定期的に除去されました。


高貴な人が寝室から離れなくていいように、城壁に石や木でできた出窓、いわゆる穴あきトイレが設けられ、汚物は直接堀に落ちるようになっていました。
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トイレの出窓、Von AxelHH - Eigenes Werk, CC BY 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=21544257

チェコ語でプリヴェートと呼ばれる出窓のトイレは例えばプジムダシュテルンベルクカルルシュテインカシュペルクのお城で見ることができます。


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プシムダ城、Autor: Petr Kinšt – Vlastní dílo, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=37812533

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カルルシュテイン城、Autor: Arkadiusz Zarzecki – Vlastní dílo, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=32360959

ボヘミア王国で最初の下水用の排水設備は、意外にも1240年代に建設されたストラホフ修道院の下水道で、修道院からマラー・ストラナの方に汚水を流していたそうです。ちなみにストラホフ修道院には世界で最も美しい図書館の一つがあります。

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ストラホフ修道院、© Jorge Royan / http://www.royan.com.ar, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19135725による


大きな都市ができ、城壁に囲まれていた時代である中世最盛期や晩年、街にはゴミや汚水が道や川に流れ、井戸にしみ込むので、井戸の近くで汚物を捨てるのは禁止されました。

まあでもちょくちょく伝染病が起こってますから、防ぎきれなかったようです。

田舎はともかく、都会の生活は不潔と隣り合わせでした。


そのためか、このような場所では水は危険な病気の元とされ、水浴びはおろか、手を濡らすことすら嫌がられました。ゴミ掃除も、当時は死刑執行人とその補助だけが道を掃除し、町民は汚い仕事をしませんでした。
ゴミはどこにでも捨ててよく町は汚物にまみれていたようです。


悪臭を放つ街の水は誰も飲まないので、ビールが大量に消費され、その製造中に有害なバクテリアを煮沸によって除去しました。
きれいな水が確保できない場所ではビールは水替わりとして飲まれ、一人当たり一日5~10リットルは飲まれていたと言われています。アルコールやハーブも入っているため、水より断然清潔で健康的なわけです。子供たちもビールを飲みました。


15世紀ごろから娼婦、特にヴェネチアの遊女は定期的に体を洗うようになりました。特に、裕福なベネチアの貴族たちは、夜通し風呂に入り、そこでおいしい料理と酒に舌鼓を打ちました。
たまにお風呂で寝てしまい、溺れてしまう人もいたそうです。

女性は「お風呂で香水をつけて体を洗えば、男性はあなたの魅力を覚えて、完璧に満足させることができますよ」とアドバイスを受けました。


しかし真のキリスト教徒は相変わらず不潔なままでした。
当時は混浴で、エロティシズムと風呂は関連して考えられたようです。

ハンガリーのある王は信心のしるしとして、体を洗わないことを誓いました。17年間はそれを守り続けることができましたが、浅瀬で落馬してしまったため、仕方なく体を洗うことにしました。
彼は誓いを破った事を神に詫びるためにキリストの墓に巡礼したそうです。

しかし、こんなことで謝られても神様が困るのではと思ってしまいますよね。


16世紀に入り、ヨーロッパで宗教改革が始まると、少しずつ意識が変わっていきます。
プロテスタントも信仰に節制を取り入れていましたが、カトリック教会とは異なり、主に精神的な謙虚さの中に節制を見出しました。


近世である18世紀になると体を洗うのは日常的になっていきます。
田舎の子供たちは川で水浴びをしました。家で洗う場合は水桶を利用するか浴槽を用意しました。

町の場合は、体を洗うのに噴水や公共の井戸の水を使いました。しかし田舎でも都会でも、冬は誰も冷たい水に触れたくないので、お湯を沸かすのですが、熱い湯につかるのは不健康だと考えられました。

チェコの現代作家、ヴラスティミル・ヴォンドルシュカは、


「当時は毛穴が広がって、そこから病気が入りやすくなると信じられていました。
人々は徐々に水と入浴を受け入れますが、これは医学の発達と宗教革命に伴い、教会が教えを強要できなくなっていった事が影響しています。」


と述べています。つまり教会の力が弱まったため、みんな体を洗いはじめたんですね。

富裕層は定期的に入浴をするようになりました。高貴な家では、入浴のための部屋も別に用意されました。18世紀後半以降には、鏡付きの机やたくさんの仕切りやキャビネットのある特別なバス用家具が作られ、そこには洗面器ややかんを備えた磁器製のお風呂セットが備え付けられていました。


しかし上にも書いたように、実際のところボヘミア王国では中世にお風呂屋があちこちにあって庶民はそれなりに清潔にしていたようです。次回は中世のスパについて書きます!

参考サイト:
https://www.dotyk.cz/magazin/stredovek-osobni-hygiena-20401218.html

https://www.dotyk.cz/magazin/hygiena-hrady-stredovek-30000330.htmlhttps://www.dotyk.cz/magazin/stredovek-hygiena-francouzska-metoda-30000219.html
https://epochaplus.cz/4x-hygienicke-navyky-myli-se-lide-ve-stredoveku-jenom-dvakrat-do-roka/
https://bulvarnihistorie.cz/kazdodenni-zivot/zivot-v-zapachu-potu-moci-a-vykalu-vitejte-ve-stredoveku/

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