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「...犠牲者はほとんど即死だった。脇の下や股間が膨らみ、話しているうちに死んだように地面に倒れてしまった。父は子を捨て、妻は夫を捨て、兄は弟を捨てました。そうして彼らは死んでいった..」


Agnolo di Tura ”シエナ年代記”
1348年(出典:https://cs.wikipedia.org/wiki/Mor) 


今日はエドワード・ケリーについて書こうと思っていたのですが、チェコのコロナ患者がかなり増えて緊急事態宣言まで出ちゃったんで、病気つながりでペストについて書こうと思います。


ペストは、ネズミのノミなどによって人間にうつる感染症です。

初期症状では、首や足の付け根などのリンパ節に卵ぐらいの腫れ物ができます。菌が肺に入ると肺炎になることがあり、その場合咳の飛沫により、人から人へ直接感染します。その後、菌が血管に入り出血することで、肌は黒い色に変化します。なので「黒死病」とも呼ばれるわけです。


放置しておくと、腺ペストで最大60%、肺ペストで約90%、敗血症性ペストでなんと100%が死にます。
恐ろしい…。


ラテン語でペストを意味する「plaga」は、ギリシャ語で「打撃」や「傷」を意味する「plege」に由来します。

なのでペストだけでなく飢饉などを含む疫病などで人が多く死ぬ、という場合でもしばしば使用されたようです。


黒死病と呼ばれる疫病が最初に発生したのは中央アジアと言われています。

大体歴史上で疫病が流行するのは、人の行き来が多くなることによるものなのですが、交易で旅をする商人や、戦争で軍隊が動くことにより、この病気が何度も流行しました。

14世紀にはモンゴルがクリミアを 侵略した際にはこの病気を逆手にとって、ペスト患者の死体をお城に放り込み、生物兵器のように利用した事もあるそうです。


ヨーロッパだけでも、1347年から1353年までの数年間に、ヨーロッパの人口の3分の1以上にあたる、少なくとも2,500万人の人々が亡くなったといわれていますが、チェコはその乾燥した気候のせいか、他のヨーロッパに比べると被害は少なめだったようです。

しかしそれでも何度かパンデミックが起こっています。


1349年に最初の疫病がボヘミアの地を襲い、1380年から1382年には数万人の犠牲者が出ています。


1679年から1680年にはウィーンからモラヴィア、ボヘミア南部に広がりました。1680年には特にプラハで猛威を振るい、人口の3分の1に相当する1万2千人が死亡したとされています。中央ボヘミアも深刻な被害を受け、特に幹線道路沿いでは死亡率が50%を超える場所もありました。この伝染病は約10万人の犠牲者を出し、その中にはプラハの大司教も含まれていました。


さらに1713年から1715年に最後の大流行があったとされています。1713年にハンガリーから伝染し、プラハは大きな被害を受け人口の4分の1以上の1万3千人が死亡しました。 ボヘミア全体では約20万人が死亡しています。その後、大都市では下水道が整備されるようになり、ペストの流行は抑えられるようになりました。


中世では疫病はしばしば天罰とみなされ、鞭打ち人が懺悔したり、堕落したカトリックを糾弾する宗教改革運動が起こるなど、様々な動きが現れます。

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さらに死が身近になったことで、「メメントモリ=死を思え」の思想をテーマにした芸術も盛んになります。

チェコではクトナーホラの納骨礼拝堂をはじめブルノの聖ヤコブ教会地下など、骨で飾られた納骨堂が結構ありますが、まさに「メメントモリ」。これらの場所にはペストの時代に死んだ人の骨がたくさん含まれていますが、その場所にいると嫌でも死について考えさせられます。


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バロック時代には、ペストが終了した記念としてあちこちでペストの柱が建てられ、そこに聖母マリアや、ペストの守護聖人が飾られます。

聖人とはキリスト教の信者で殉教したり、奇跡を起こしたとされる人たちですが、

その死に方や、生前の行いなどから、守護対象が割り当てられています。

日本だと、

「受験に合格するにはあの神社に行って、この神様にお願いすれば霊験あらたか。」

というのと同じように、

「守護聖人様~、ペストから守ってください。」

とお願いしたわけです。

ペストが多くの人の命をうばったため、バロック時代にはペストの守護聖人の数も増えていきました。


代表的なペストの守護聖人の一人は聖ロクス です。

絵画や肖像では巡礼服を着た若い男性として描かれ、太ももにできた疫病のただれが見えるように足の衣服をたくしあげています。

これは彼自身ペストにかかったことを示しています。

さらにそばに寄り添う犬は、足の潰瘍を舐めて傷を癒したと言われています。


もうひとり、聖セバスティアンは体中に矢が刺された半裸の若い男性で表現されます。

彼は3世紀にキリスト教を迫害したディオクレティアヌスによって、矢を射られて処刑されるのですがその場では死にませんでした。ペストの黒い斑点が矢が刺さった跡に似ていることから、ペストの守護聖人になったそうです。


半裸の若い男性に矢が刺さってて、なんか悩ましい!…制作欲が刺激される~


ってことで後期ゴシックからルネッサンスを中心に彼をテーマにした芸術作品が多くのこされています。

歴史の最も初期のゲイ・アイコンだそうです。(キリスト教なのに~)

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プラハの「黄金の井戸の家」の装飾にはこの二人の装飾を見ることができます。

二人ともなんだかチラリズムですね。



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