ルドルフ二世
錬金術界隈では有名な王様、ルドルフ二世です。
そういえば、これまでの記事でこの人の名前を連呼してきたわけですが、この人について全然説明してなかったな~と思い、記事を作成することにしました。

ルドルフ二世はハプスブルグ家の出身で、オーストリア王であり、神聖ローマ皇帝でした。
彼の統治時代である16、17世紀、チェコはボヘミア王国という名前の国で、オーストリアの属国です。
ハプスブルグ家の本拠地はオーストリア、属国であったボヘミア王国やハンガリー王国には戴冠式にやって来こそはすれ定住する場所ではありません。
しかしルドルフ二世はプラハの街を気に入ったようで、1583年にプラハに本格的に引越しをして、趣味に没頭していきます。

彼はプラハに芸術家や学者達を呼び寄せ、お城はアカデミーのようになっていきます。彼の興味は絵画や彫刻、時計や機械工学だけでなく、珍しい品にも向けられ、自然物、半貴石をはじめとする様々な石、エキゾチックな果物や木の実、植物誌なども収集対象として集められました。一部で有名な「ヴォイニッチ手稿」なんかもそうですよね。
これら収集品をお城に飾り、個人的な博物館として楽しんでいたようです。

彼の取り巻きには錬金術師達もおり、当時ほとんどの有名な錬金術師はボヘミア王国を訪れました。一説によると、来ていないのはスコットランドの錬金術師アレクサンダー・セトンぐらいだそうです。
多くの錬金術師がプラハに滞在し、ルドルフの周りで研究をしますが、成果を出せない錬金術師は容赦なく牢屋に放り込まれたり、処刑されました。
結局、彼の目の前で黄金変成をさせた錬金術師はいましたが、実際に黄金を作り出せた錬金術師はいなかったようです。

こういった趣味にかまけ政治をおろそかにしたことにより、貴族たちは彼を見放し、弟マティアーシュを支持し始めました。弟との仲は次第に険悪になっていきます。
兄弟間の政治闘争では結局弟に負け、結果1611年にマティアーシュが新しい王様になり、ルドルフ二世には、終の棲家としてプラハ城が残されました。
マティアーシュはウィーンに邸宅を移し、その一年後の1612年にはルドルフ二世が死んだため、プラハの錬金術の主要な時代は終わりを告げます。


お城の見学ルートには、「黄金の小路」と呼ばれる、城壁をくりぬいて作られた小さな家々が連なっている場所があります。そこは錬金術師たちの働いていた場所だと常々言われていましたが、実際この場所で錬金術師が働いていたことはありません。
ま~、伝説ではそういう話も残っていますが、実際に彼らがお城の中で働いていた場所は、ルドルフ二世のおじいさん、フェルディナンド一世が奥さんのために作った「夏の宮殿」の地下、そして「ミフルカ」と呼ばれる塔とその周辺や皇帝の私室でした。
ただ、黄金の小路には錬金術師が放り込まれた白塔(牢屋)がありますし、錬金術工房を再現したものもありますので、これはこれで見ていて楽しいです!

ちなみに「夏の宮殿」の庭園には動物園や植物園のような場所が作られ、ルドルフ二世の時代にはそこに「モハメド」というライオンがいたようです。
天文学者として有名なティホ・ブラーエはルドルフ二世のホロスコープを作成したとき、「モハメド」がルドルフ二世と同じ星座をもっており、同じ運命をたどると予言しました。
伝説によると「モハメド」が亡くなった数日後、ルドルフ二世も亡くなったといわれています。
北側のお城の入り口にある、「lví dvůr」(ライオンの庭)というレストランはそのライオンがいた場所です。

ルドルフ二世に関連するお話はこれからもちょくちょく出てくる予定です。


プラハ城
https://www.hrad.cz/en/prague-castle-for-visitors





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